その 4 母と子の絆

暑い。奈良の夏はとにかく暑い。この時期奈良の蒸し暑さは何と言えばいいのか。生まれ育った故郷十津川村の爽やかな水が恋しい。今日は珍しく朝から雲ひとつない快晴、たまに晴れると目に付き刺す日差しが眩しい。

今日も普段どおりの平凡な外来業務が淡々と流れる。午前の診療もそろそろ終わりに近づいた頃、懐かしい顔に出会った。私の勤務医時代、不妊治療の末やっと妊娠出産したOさんである。その時の出産は帝王切開。臨月に入って予定日も近づいた定期健診、週数の割に胎児が小さめという理由でたまたま胎児心拍をモ ニターしたところ軽い遅発性徐脈を認めた。胎児のごく軽い低酸素状態のサインであったが、臨床家として何かきなくさい匂いを嗅ぎ付け、本人ご主人と相談のうえ緊急帝王切開となった。胎児の臍帯は真結節をつくっていた。臍帯が硬結び状態になっており、もう少しきつく締まると胎児が窒息する寸前だった。

今回の受診理由を聞いてみると、あれから2人目もなかなか妊娠せず、不妊治療の末やっと妊娠したが、胎児の心拍が見えず育っていないと他の病院で告げられた。その真偽を確かめるためにわざわざ遠方まで訪ねてこられたのである。幸い、経膣超音波検査でかすかな胎児の鼓動を認めた。
「1人目もそうでしたが、うちの子供は先生にサインを送っているみたいです」。
5歳になる女の子は、何のことか理解できず、愛らしい瞳で母親と私を不思議そうにみつめている。
「お母さんより先に君を抱き上げたんだよ」。
これは産婦人科医師の何よりの特権といえる。ただ、そのことを覚えている子に残念ながらまだ出会っていない。

2週間後、再び彼女が長女とともに外来を訪れた。
「先生、残念ながら今回は流産してしまいました」。
我が子の手を軽く握りながら自然な笑顔で私に告げた。その目には悲しみを乗り越えた母の強さが宿っている。
帰り際の彼女の後ろ姿、さらに絆をました我が子への愛情と母の自信を、確かに私は感じていた。

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